インタビュー(山形市立病院済生館:阿部暁子先生)

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山形市立病院済生館
小児科医長

阿部 暁子先生

 

Q医師を目指されたきっかけは。

 子どもの頃、貧血になった時などに御世話になった小児科の女医さんに憧れ、女性が長く働いていく職業として、社会に貢献出来る、自分も磨いていける職業だと思い医師を目指しました。

Q大学に入学される前から、小児科を選ぶつもりでしたか。

 入学前に小児科に決めていたわけではなく、入学してから病院見学に行った際、お産で赤ちゃんに接する機会があり、臨床実習でも、小児科の先生方に大変良くして頂きましたし、女性の先輩医師も多くいらっしゃったので、自分の体験を活かしていける小児科がいいと感じるようになりました。

Qご出産と子育て、ご主人の留学のためアメリカに行くなど、現場を離れていらっしゃった時期もありますね。その時期の生活について教えてください。

 出産前は大学の医局で働き、出産当初は育休をとっていましたが、医局から、乳児検診や小児科外来などで、非常勤で働けるよう調整していただき、アメリカに行くまでは、週に1~2回程働いていました。

 アメリカに行ってからは、ほとんど子育てしていましたが、アメリカ生活に慣れてきた頃、少しでも何かに触れていた方がよいと思い、主人の留学先のラボで、週に1~2回程、実験を手伝いながら勉強させてもらいました。

 日本に帰ってからは、教授からフルタイムで働くのは大変だろうからとお声掛けいただき、大学院に進み、臨床をやりながら研究に取り組むことができました。

Q大学院時代は、子育てを続けながら、研究に取り組まれていたのですね。

 そうですね、大学院では、ほとんど毎日実験室にいましたが、自分の立てた計画で進めることができましたので、時間のやりくりは出来たと思います。

Q大学院を卒業されてからは、篠田総合病院で、フルタイムで働かれていたのですか。

 一応フルタイムでしたが、夜間の当直は免除していただき、土日の日直に入るなど、配慮していただきました。

 また、週に2回は、大学から応援医師に来ていただき、私は大学に行って研究をすることができたので、その時、他の先生方と話す機会も得られて、とても助かりました。

Qその後、今の勤務先である済生館にいらっしゃったわけですが、同じような形で働かれているのですか。

 済生館に来る頃には、子供もだいぶ大きくなっていましたので、病院と、家族とよく相談して、月に何回かは当直に入っています。家族にも負担をかけていますけど、なんとかここまで勤めることが出来ています。

Q子育てのため常勤から離れた後、フルタイム勤務に戻るときは不安がありませんでしたか。

 もちろんありました。臨床も日々変わる中で、今の医療についていけるか、自分が迷惑をかけるのではないかと不安でした。阿部先生(横)

 やはり医局の先生方の御配慮で、まったく現場を離れることなく、少しでも働かせていただいたこと、子供やその親御さんを相手にしている小児科での経験が、不安を払拭して戻るきっかけになったと思います。

 

Qやはり、御家族の協力も大きかったのですか。

 そうですね、私の両親に家の事を手伝ってもらったり、主人と私の当番や当直などが重ならないような日程を組んで、夜はどちらかが家にいるようにしています。

Q女性医師の方が働き続けるために大切なことはなんですか。

 やはり続けていくという気持ち、少しでも携わって何かやっていくという意志が働き続けていける力になりますし、なにより周りの人の支えがあって、今があるということを忘れずに、働き続けていくことが大事なのかなと思います。

 今は休んでいる方たちが職場に戻るための支援とか制度があると思いますが、それだけではなく、休んで病院にいない間でも、少しでも何か調べたり、考えたりすることを続けていくことが大事だと思います。

Q最後になりますが、医師を目指す女子学生や若手の女性医師へのメッセージをお願いします。

 医師になろうと思ったからには、勤務状況などに関係なく、医療に携わり続けていく姿勢が大事だと思うので、将来のプランなど最初から分かっている人はいないですし、その時その時にやれることをやっていくことが、続けていくことに繋がるのだと思うので、医療に携わることを続けてほしいと思います。